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久し振りに従兄弟のところを訪ねた。
歳は74歳くらいのはずだけど数年前から耳が遠くなっているそ
うで、そう言えば何度も聞き返される事があった。
医者に診てもらったそうだけど、まあ歳相応のことという事だっ
たのだけど、この日会って話をしたら、ついに両耳が遠くなって
しまい治療はあるのだけど、まあ補聴器にする方法が一番いいと
のことで、そっち(調整とか)を進めているという事だった。
やはり?補聴器なんて、という気持ちはあったようだけど本人は
会話する相手が結構疲れる?という事にも気付いていたようで、
更に医師からは、補聴器は出来るだけ早い方が慣れるからいいの
だと言われたらしい。
確かにぼくも従兄弟と会話する時に何度も聞き返され、少し大き
な声で喋るようにしないといけないので内心、ちょっと疲れるな
と思っていたし、つまらない冗談を言っても、もう一度言うのは
「もうええわ」って気にもなっていた。
さて、補聴器を付けるのは早い方(出来るだけ若い方)が慣れる
のが早いというのはどういうことか?
その話を、その従兄弟から聞いた。
補聴器の電源、充電だとか風呂に入る時は外すとか外さないとか
スイッチがどうのとか寝る時は外すの外さないの、機器の操作に
慣れるのは出来るだけ若いうちの方が理解できるとか、そういう
事だと最初は思ったそうなのだけど、どうもそうではないらしい。
医師の説明によると、右の耳は左の脳で、左の耳は右の脳で色々
と判断やらしているそうで、例えば健常者は誰か目の前にいる人
と会話している最中にすぐ横にあるテレビから聞こえる音声なり
外からの雑音、パトカーのサイレンや飛行機、クルマの騒音等が
が同時に聞こえているのだけど、脳が勝手(自動的)に何が優先
なのか、会話が優先か騒音が優先なのかを選択しているから、他
の音は聞こえていても認識しないようにしているのだそうだ。
聖徳太子のように10人の話を同時に聞きいて理解できるってい
う能力があるかどうかは別にして。
それで、若いうち早い方が補聴器に「慣れる」のが早いというの
は、あんまり高齢になってからだと脳が補聴器によって聞こえる
ようになった音を識別する能力が劣っていて全部の音がまともに
耳に入ってきてしまうから、それに脳を慣らすのが早いという事
なのだそう。
会話していても同じ音量でテレビの音や騒音、ドアの開閉の音、
外部の音、全てがキッチリ明確に聞こえてしまい、うるさくて
やかましくて、補聴器、こんなものしてられるかバカヤロー的
なことになってしまうらしい。
補聴器を付けるなら脳が正常?活発?なうちに付けた方がそれに
適応するのが早い、という事らしい。
まだ補聴器は要らん、何とかなると言いながらだんだん歳を取り
かなり高齢になってから、これはマズイといよいよ補聴器を装着
する場合もあるのだろうけど、聞こえる音を識別、判断する脳が
衰えていると、補聴器はやかましいだけの雑音増強機器になって
しまうのかも知れない。
誰しもいくらかはボケでいると思われている行動があってもワシ
はボケとらん!まだ若いのじゃ!お前らがボケとんのじゃ!
と言いたくなる気持ちもわかる高齢者の方もいらっしゃいます。
ただ、従兄弟はかなり頭(脳みそ)が柔らかいようで、なるほど
そうかそうかと理解したようだけど、そもそも頭の固い年寄りは
ワシはそうはならん!と言い切り、補聴器を装着してから「これ
はやかましいだけで、何の役にも立たん!」と補聴器を投げ捨て
ることもあるらしい。
とにかく、従兄弟の決断の一つに会話している相手が疲れるとか
迷惑を掛けている事に気付いていたのは脳がまだ正常に機能して
いるのだろう。
従兄弟の妻、義理姉の耳は正常なので3人で話をしていたのだけ
ど、ボクは従兄弟に合わせて普段より音量を上げて声を出してい
た。
義理姉には大声過ぎたかも知れないけど一度の会話で済むし、そ
の辺りは義理姉も理解してくれていたようだった。
この従兄弟と話しをするのはいつも良き理解者であり、得る事も
多かったし、この所は会話する相手も乏しくとても有意義気な
ことだった。
ただやっぱり普段より音量を上げて喋るのは疲れるのだな。
そしていずれ、ボクの身にも訪れる事になるかも知れないので
会って会話する事ができて良かったと思った。
それから最後に、死ぬってどういうことか?その時の事を考え
を、って話になって、従兄弟が言うには、その時は眠るように
死にたいなって。
出来れば、苦しまずに痛みも感じず眠るように死にたいなって。
焼け死ぬとか、水死とかで苦しんで窒息死とか、痛みで苦しむと
か、事故死にしても即死がいい、瀕死で痛みを伴うとか、そうい
う状況でなく、静かに夢を見るように眠るような死に方が出来た
たいいなってな話もしたりして、なんだか人生の終息を語ったよ
うな雰囲気でもあったのだけど、そういう会話が出来てボクとし
てはそういう相手がいて良かったと思うし、気持ちも楽になった
ような感じだし、予定していた映画鑑賞を諦めて従兄弟と長々と
会話出来た事が、ああ、いい日だったと思うのだった。
義理姉とは普通の音量?で会話出来たし、これまた中々有意義な
話を聞くこともできた。
なんだか暗い話のような感じもあるのだけど、ある意味では今日
の話は明日への希望もあるし気分転換にもなったし従兄弟が買い
替えたスバルの新車も見たりして、良かったかなと。
それにしても気になったというか、久し振りに会った従兄弟は、
以前は、いつも若々しいなと思っていたのが、急に老けた感じが
してして・・・。義理姉はそうでもなく、いままで通りの感じだ
ったのだけど。
まあ、いずれにしても人はいずれ死ぬのだから老いていくのは、
当然なことなのだから、いかにそれを自分で認識、自覚してい
けるかみたいな事も改めて感じた一日だった。
当たり前の今日ではなくて、奇跡の今日なのじゃないかなって。
それを大切に生き抜きゃなきゃ、なんてね。
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